私の病気について


どうもいもきんとんです。

ここでは一旦、HYIIPとオートサーフから離れて、今更ながらですが、私の病気についてお話をさせて頂きたく、このページを儲けさせていただきました。
以前から考えていたことですが、果たして書いていいのか随分迷いました。
以前は文章を書くことが大好きで、手紙をよく書いていたのですが、今では文章にまとまりがなくなってしまい、自分でも読んでいて分かりづらくなることがあります。
そこはご了承下さいませ。

お気づきでしょうか?壁紙も文字なども全てブルーにしています。ブルーは精神を沈静化(リラックス)させる効果があるそうです。
だからあえてブルー一色にしました。読んでいて目がチカチカしたり、読みづらかったら申し訳ありません。
関係ないですが、私の部屋にもブルーの小物が置いてあります。
もし面倒なら読み飛ばしていただいても、そのままページを閉じて頂いても構いません。
ですが、私の病気を、今うつ病で苦しんでいる人達のことを少しでもご理解をしていただければと思います。


私の病気はうつ病です。うつ病といえば「心の風邪」と一般的に言われていますが、私にとっては風邪以上です。ガンと同じ、それだけ苦しいのです。
うつ病というのは性格的なものだと思われがちですが、立派な脳の病気なのです。

病名は多く、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、SAD(社会性不安障害)、パニック障害、睡眠障害(不眠症)、対人恐怖症、男性恐怖症、空間恐怖症。。。
挙げればきりがありません。

飲んでいる薬は代表的な「パキシル」、「デゾラム」、「メトローム」など7種類飲んでいます。最初は朝昼晩と飲んでいたのですが、
私は車を運転する機会が多く、どうしても減らす必要があるので、今では晩のみにしてもらっています。治りが遅くなる可能性があるので
主治医の先生は本当は朝昼晩と飲んだ方がいいとおっしゃったのですが、何度か飲むパターンを試した結果、今日に至っています。
今の家に引越しをしてから喘息の発作が治まり、やっと薬から開放されたと喜んでいたのにまた薬漬けです。


まず私の症状といえば

1.全くやる気が出ず、体がだるい
2.1日中頭痛がする
3.食欲が出ない
4.フラッシュバックがひどい
5.息苦しく、喘息みたいな咳が出る
6.薬のせいもあるが、ずっと眠気ガ続き、起きるのは大抵お昼ごろ
7.外に出るのが億劫
8.自分の車以外の乗り物に乗ると気分が悪くなる
9.とにかく両親と兄一家以外の人と接するのが嫌になる
10.以前と比べると随分なくなったが、自殺願望がくすぶり続けている



精神的なものは病気と認識されるのが第三者から見れば難しく、誤解されやすいものです。特に1.の場合は怠けているのではないか、と疑われます。
そう思われるだけで辛い思いもしたことがあります。私は打ち明ける前は特に両親からよくそれで責められたものです。身近な人に一番分かってもらえ
ないことがとても辛く、毎晩泣いて枕を濡らしたことが何度あったことか。。。
3.の食欲が出ないですが、それを先生に話したら食欲を増進させる薬・マーゲノールを処方されました。おかげで満腹な時も常に食べていないと気が
済まないほど食べていたので細かった私の体はすっかり太ってしまいました。
おまけに副作用として恥ずかしいのですが、生理が止まってしまい、血液検査では妊娠中の人と同じ値が検出され驚きました。私は初潮から一度もこういう
ことがなかったのでどうしていいか随分悩みました。母に相談し、この副作用については先生は教えてくれず、母が怒っていました。
先生(男性)は笑っていましたが、女性として生理が来ないというのは不安になるものです。
その薬は結局取りやめてもらい、飲むのをやめてから約2ヶ月で元通りになりました。
実はその先生はそこの病院では一番の腕だそうで、いつも混んでいます。母はこんな先生で本当に大丈夫なのかと心配していましたが、
父(外科)の通っている病院にある心療内科は新規の患者は受け付けてくれないので、他の病院は遠いので今の病院にずっと通い続けています。
色々ありましたが、とにかく今の先生を信じるしかないので通っています。
通い始めてからちょうど1年6ヶ月になりますが、まだまだ症状には波があります。とにかく焦らずにゆっくりと治療に専念することにしています。
いつまでに治そうと期限を決めてしまうと余計にプレッシャーになり悪化させる原因にもなるので気を付けています。


臨床心理士の先生からもカウンセリングを受けています。月に2回、電車を3回乗り継ぎ、3時間近く掛けて母と一緒に通っています。
あれだけ好きだった電車に乗るのが怖くていつも母の服をつかみながら離しません。いい年をして恥ずかしいのですが。。。
先生は女性の方でとてもきさくでリラックスできるような話をして和ませてくださいます。最初はなかなか話せなかったのですが、
今では普通に会話が出来るようになりました。相談所に来る度に新しい相談者が増えています。中には小さな子供までいました。
うつ病の人が増えてきていると聞いています。無理もありません。人間関係や仕事などのストレスがたまったことが原因で起こりやすいのでしょう。


分かりやすいところから行けば今最も社会問題になっている「イジメ」。。。
自殺した子達の遺書の中には読んでみると、私が受けたイジメと酷似しているのです。

思えば幼稚園から短大卒業、就職(2年間)と20年以上イジメ続けられていました。
中2の時にやっと出来たと思った友達から手紙で「もうあなたとは付き合いません。別の友達が出来ました。もう私達の傍に寄らないで下さい。」
と渡された時はひどいショックでした。ちょっとしたけんかをしてしまったのですが、すぐに仲直りしようと思ったのにこの仕打ちです。
偶然近くを通りかかった時ですら「来ないでと言ったでしょう!」と言われました。そのことがすっかりトラウマになり友達を作るのを妨げる原因になってしまいました。
その子達の名前は今でも覚えています。この出来事は本当に昨日のことのように覚えています。
その子達は今でも付き合いがあるのでしょうか?あるとしたら私のことなんかすっかり忘れて毎日をエンジョイしているのでしょう。
今でもその子達が憎くてたまりません。本当は名前を公表してやりたいくらいですが、そんなことをしても私がむなしく、惨めになってしまうだけなのでやめときます。
それからです。私の本格的な孤独との戦いが始まったのは。。。あとは本当に長くなってしまうのであえて割愛させていただきます。

イジメを受けなかったのは初めて親友と呼べる友達が出来た高2、高3のたった2年間でした。彼女達とは今でも付き合いがあります。
高校を卒業して友人と離れ離れになったとき、また一人ぼっちでした。18〜22歳までの間が一番症状がひどく、自殺願望もありました。
実際にリストカット5回経験があります。あまりの痛みにためらってしまい、傷が浅かったのですが、またしばらく日が経ってから切ってし
まいました。これも痛みに耐えられず傷が浅かったです。後の3回も同じです。
痛いのが嫌なのでどうにか苦しくなく死ねる方法はないかと考えた結果睡眠薬に辿り着きました。いくつかの薬局に行ったのですが、
どこの薬局でもありませんと言われました。今思えば多分、私の表情がおかしかったのでお店の人達は売らなかったのでしょう。
この自殺もあきらめました。私が取ったこれらの行動は当時の両親は気付いていません。

結局後は耐えるしかなかったのです。近所に知り合いも多く、特におしゃべりのおばさんがおり、この人に知られるとたちまち町内中に広まってしまうので
ひたすら我慢の日々を送っていました。父が引越しをしたいと言ってくれた時は本当に嬉しかったです。

私は小さい頃から体が小さく喘息の持病があるせいで体が弱く、動きも人より遅いのでイジメのターゲットになりました。
ドッジボールでは私ばかり狙われ、今はコンタクトですが、当時はメガネが珍しいのか、ボールをわざとメガネに向かって投げてきてフレームが曲がったことも何回もありました。
ばい菌扱いされたこともありました。私が持ったプリントをパッパと汚れを払うようにしていました。

給食を食べる時間でも机をグループごとに並べるのですが、私が入ると嫌そうな顔をする子がいたのを今でも覚えています。
中学、高校、短大に進学してからはお弁当をたった一人で食べていました。。。

就職先ではもう一人同期がいるのに、私ばかり電話を取らせ、入社して僅か1ヶ月で歓迎会の準備などで21時まで残業。。。
もう一人は既に帰っていました。その子だけは先輩から咎められている所を見たことはありません。
5時ギリギリに上司から急に仕事が入ったのでこの書類を仕上げてくれ、と山のような書類を持ってきて残業の連続。。。
1ヶ月で60時間近くにもなったことがありました。私の配属先ではコンピューターがなかったので全部手書きです。おかげで腱鞘炎になりかけたことがあります。
先輩から「残業多すぎですよ!」と言われるのですが、上司はかばってくれませんでした。(先輩達はいつも4時半を過ぎてもう帰る準備をしています)
この会社は高卒が大半を占めているので学歴が上な私を妬んでのことでしょうか?今では分かりませんが。。。
2年目を迎えたころ足の怪我をきっかけに退職しました。

イジメの他にも本当はもっとあるのですが、これが大まかな私の体験です。あまりにも多いので本当に小説が書けるぐらいになってしまいますね。

事なかれ主義、イメージダウンばかり考えている学校や教育委員会の対応にも憤りを感じています。もし自分の子供がそんな目に遭ったらどうするのか、
自分の身に置き換えて対応してもらいたいです。しかし政府も頼りになりませんね。。。

本当に早くこの世からイジメが無くなればと心から願っています。イジメも立派な犯罪だということを心に留めていただきたいと思います。


収入の当てもなくなり、途方にくれていた私を救ってくれたのがHYIIPとオートサーフですね。始めた頃は結構負けていましたが今では趣味の
プレステ2のゲーム同様(下手ですが)、息抜きみたいになっています。
私が今まで貯めたお金をほとんどE-Goldに換金して、儲けた分で改めて円に換金し直して元の預金口座に戻している段階です。まだまだですが。。。
これをやっているのを両親は知りません。こんなことでお金を稼ぐなんて知られたら大変なので、心の中で謝りながらひそかに楽しんでいます。
年金問題のこともあるので、儲けの一部や週1回の支払い分などは別にE-Gold口座を作り、貯金しています。まだそんなに貯まっていませんが、
チリも積もれば山、将来億万長者まで行かなくともそれに近い稼ぎが出来ればと大変な野望?を持っています。ずっと続いてくれればいいのですが。。。



次は母に打ち明けるまでの軌跡です。(2006/12/09のコメントをそのまま載せています。

この病気は今思い出せば小さい頃からの病気だったのではないかと思います。今ニュースで毎日のように言われているイジメ自殺が相次いでいます。
未だにイジメ が続いていることは本当に悲しいことです。その内容も私が受けたものと酷似しているのです。学校でも会社でもそうでした。会社は2年で退職しました。

勿論自殺を何度も考えたことがあります。リストカットも4回くらいありますが、その痛みで思いとどまりました。10〜25才位が一番辛かったです。

免許を取るときも大変でした。特に卒業検定のときは人生で一番緊張しました。何とか一発で合格できて良かったです。
今取りに行けといわれても絶対出来ないですね。

去年の11月に母に打ち明けてから1年が過ぎました。理解してくれた母に救われました。小さい頃から体が弱く、気管支喘息の持病があったので
そのたびに昼夜問わず看病してくれました。
これから親孝行しなければいけないと思っていただけに、心配事を増やしてしまい申し訳なく思っています。

母は、「よく勇気を出して打ち明けてくれたね。長い間気付いてあげられなくてごめんね」と泣きながら背中をさすってくれました。
父にも母がうまく話してくれ、以前は父と折り合いが悪くよくけんかをしていたのですが、今ではすっかり仲良しです。
それにあれだけ働きに行かないとだめだといっていた叔母(母の妹)も「病気と知らずに何度もごめんなさい。気分のいい日に遊びに来てね」と言ってくれました。
私が妹と思っている従妹も同じ病気だったのですぐに理解してくれました。

母は「あんたが治ることが一番の親孝行、それが一番の楽しみ」だと言ってくれました。
ゆっくりと焦らずに治療に専念したいと思います。
今イジメで苦しんでいる人達も、勇気を出して話してみてはいかがでしょうか? きっと理解してくれるはずです。
一人でも理解してくれる人がいれば本当に気持ちが楽になります。
実際に私がそうでしたから。。。



母に打ち明けたことによって今まで真っ暗闇だった私の視界が暗闇とあまり変わりませんが、抜け出すことが出来ました。

父も具合が悪いのに私の心配ばかりしています。
この間は近所の歯医者の帰り後、途中で雨が降ってきて慌ててしまったのか転んで怪我をしてしまい、近所の方達がわざわざ電話で救急車を
手配してくださり、救急病院へと運ばれました。頭を打っていたので心配でしたが、幸い意識もしっかりしており、話し方もいつもの状態で、
CT検査でも異常がなく、そのままタクシーで家に帰りました。今では何事もなかったかのように普通にしています。
でも後からジワジワと脳内が出血し、「硬膜化血腫」になる可能性があるとおっしゃったのでので何かあったらすぐに病院へ行く体制でいます。
今通院している病院ではないので少々遠いですが、父の命には代えられません。
家に帰ってから母と話したのですが、父は軽いパーキンソン病にもかかっており、何とか歩ける状態です。ですが、前のめりの姿勢で、現在足の筋力が
弱っているので急に走ろうとして足がもつれてしまい、膝から上半身へと転んでしまったのではないかという結論に達しました。
その前に母は一人で行かせるんじゃなかったと責めています。私も車で送ってあげればと責めています。後は脳の出血がないように祖父母の仏壇に祈るばかりです。


どうもこんな長い文章を読んでいただきありがとうございました。まとまりがなくて読みづらかったと思います。すみませんでした。



最後に、いつも私のサイトを応援してくださる皆さん、病気のことで励ましてくださる皆さんに心から感謝申し上げます。
体調に左右されながらなかなか更新の方もはかどりませんが、これからも良いサイト作りを目指す所存ですので、どうぞよろしくお願いします。