時空管理局史上、最年少で執務官の座まで上り詰めた少年がいる。

 彼はストレージデバイス『S2U』と、インテリジェントデバイス『デュランダル』を同時に起動させる魔力と、砲撃から拘束まで多種多様な魔法を行使する技術を併せ持った男だった。

 そんな彼は、その優秀さより、同年代の友人に恵まれない、という不運を持っていた。

 本人は大して気にしていなかったようだが、しかしその不運に、あるとき転機が訪れる。

 現無限書庫司書長――ユーノ・スクライアの出現である。

 

「……ユーノ……っ!」

 

 雪が溶け、ぐしゃぐしゃになった地面を、彼……クロノ・ハラオウンは無我夢中に翔る。

 彼の後ろからついてくる部下が、その鬼気とした進行にうろたえるほどだった。

「死ぬなよ……まだ……!」

 彼にとって。

 ユーノの存在とは、いったいなんだったのだろうか。

 あるときは、保護の対象。

 あるときは、協力者。

 あるときは、恋敵。

 そしてあるときは……生意気な、親友。

「管理局には……まだお前が必要だ……!」

 彼はまだ、ユーノを失うわけにはいかなかった。

 陰を見せ始めた、巨大な敵。管理局の暗部。見失うわけにはいかない。

 ようやく片鱗を見せ始めた、膨大な情報。見失うわけにはいかない。

 

 彼の世界には、ユーノの目でしかとらえられないことが、まだ多すぎる。

 

 

 

 ミッドチルダ式の魔法技術の中には、多種多様な結界魔法がある。

 治療、隠蔽、閉鎖など、空間をある一定の区間に区切って、その中で様々な力場を発生させるもの。

 もしくは、区間の境目に力場を発生させ、中からの脱出や外からの侵入を防ぐ物などだ。

 非常に便利である反面、直接的にダメージを与えられるものが少ないため、戦闘局員はあまり使用しない、というのが結界魔法の特徴だ。

 だが、例えば都市部や管理外世界に置いて、魔法による戦闘を行わなければならなくなった場合。

 結界魔法はそのような状況に置いて非常に有用であるため、強力な結界魔法を張り、維持する為の人員が必要となってくる。

 すなわち、結界魔導師。結界魔法のエキスパートたちの呼び名である。

 ユーノはこの結界魔導師という役職において、ランクAの実力を持っていた。

 また、彼はなのは達のような感覚で魔法をくむタイプではなく、術式の隅から隅までを考えつくし、理解し尽くして撃つタイプであり。

 したがってユーノは結界を張ることはもちろん、その結界がどのような結界であるのか、内部を解析する技術も持っている。

 結界を解析すると、どうなるのか。前述のバインドブレイクを思い出して欲しい。

 基本的にバインドや結界など、継続的に発動するタイプの魔法は、構成を読みとって内部から破壊することができる。

 つまり、どういう事かというと。

 結界魔導師であるユーノは、専門外ではあるが、かろうじて結界を抜くことができる、ということである。

 

 

 

 昔、まだ学校に通っていたころ。

 結界魔法の習得時に、それを破壊する方法も一緒に習得していた覚えがある。

 僕はそれをほとんど走馬燈のように思い出しながら、結界の境界面に向かって必死に飛んでいた。

「レイジングハート、あの子との距離、どれくらい?」

『おおよそ……70mから80mほどです。気を抜かないで下さい、すぐに追いつかれます』

 眉間にしわが寄る。

 仮に飛行速度が同じくらいだとして、境界面に着く頃にはどれくらい差が縮まっているのだろうか。

 僕たちは今、張られた結界から降ってくる無数の炎柱をギリギリのところでかわしながら進んでいる状態だった。

 上を見上げると、それこそ雨霰のように、鋼鉄をも溶かす炎の固まりが降ってくる。

 僕はそれを、旋回によって直撃をさけ、かすりそうになった少しをシールドで防御した。

 旋回した分、スピードが落ちる。その分差が詰まる。これの繰り返しだった。

 境界面まで、後どれくらいだろうか。結界の正確な大きさは、まだわかっていなかった。

 嵐のように降ってくる炎の間をすり抜け、奔る。

 同時に頭の片隅で、結界の中身を予測する。

『後方から、多数の熱源を確認……誘導弾です!』

「っ……いや、好都合だ!」

 飛行速度と方向を維持したまま、360度向きを変える。

 超高速で後ろに飛びながら姿勢を維持するのは結構手間だが……

「レイジングハート、姿勢制御よろしくっ!」

All Right!』

 今の僕には、この心強い相棒がいる。

 そんな些細なことに、頭を煩わされる心配は無い。

 目の前に迫ってきた無数の炎熱系誘導弾を、落ち着いて処理していく。

 魔力の解析は、もう完璧だ。

 緑色の光を放つシールドに着弾した瞬間から、誘導弾は次々に魔力となって飛散していく。

 その散り散りになった魔力を、リンカーコアを通して、自分の魔力に変える……。

「くっ……!」

 びしっ、といやな音が、僕の体から響いた。

 中だ。

 吸収しきれず、あふれ出した魔力が中から僕の体を蝕んでいる。

 でも……

『……マスター。あまり無理をしないでください』

「うん……でも結界を抜くには、少しでも魔力はあった方が、いいからね」

 そうだ。

 結界がどれほど堅いのかはわからない。

 だがわからないからこそ、魔力をため込んでいる必要がある。

 緑色の燐光をまき散らして、僕は進む。

 維持しきれなくなった魔力が、肌を食い破って、外にあふれ出しているのだ。

 握っていたレイジングハートが、血しぶきを浴びて赤く染まった。

 でも。

「んっ……レイジングハート。吹き出した魔力を全部、推進力に変換。できるよね?」

『……できます。ですがマスター、その前に治療用の結界を……』

「ごめん。そんな余裕、たぶんない……」

 第二陣が、迫ってきていた。

 レイジングハートの方も攻撃を感知したのか、黙って燐光を飛行魔法に変える。

 とたん、スピードがぐんと上がった。

「っ……み、見えてきたっ!」

 体は前に向けたまま、首をひねって後ろを見る。

 結界の外郭が、ようやく見えてきていた。

「先に行ける!?」

『か、可能です、が……マスター!?』

「わかった!じゃあ行って、少しでも解析しておいて!」

 言いながら、彼女を振りかぶった。

『ま、マスター!?』

「攻撃はAMSがあるからしのげる!僕もすぐ行くから、最大速度で遠慮無く飛んでって!」

『まっ……!』

 返事を聞く前に、投げた。

 ごめんレイジングハート、無事に帰れたら、いいオイルでも使って、体を拭いてあげるから……

「今は……僕がこいつを、足止めする……!」

 まずはこの、誘導弾の群れを、防ぎきることに集中しよう。

 

 

 

 結界上空にたどり着いたフェイトは、その構成の複雑さに、息をのんでいた。

「こ、これ……ほ、本当に暴走したロストロギアがはったの……!?」

 大胆にして、緻密。

 度肝を抜くような方法で面倒な魔法式を省いたと思えば、全く別、考えもしないほど簡単な方法の積み重ねで強度を保つ。

 いまや管理局のエリート、執務官となった彼女でさえ、この結界を破るのは難しかった。

「……Aランク未満じゃ、解析もできないよね……」

 すさまじいほどの熱量による物理的な遮断と、魔法によるジャミング。

 構成式はブラフだらけで、うかつに抜こうとすれば、手痛いトラップを食らう羽目になる。

 しかも、だ。

 中から感じる魔力は非常に微少なもので、性質の解析だっておぼつかないほどだ。

 正直に言えば、このクラスの結界を破壊するには、情報が足りなすぎる。

「……バルディッシュ、この結界……」

『解析を開始。終了予測時間、およそ180分……急ぎます』

「……うん。がんばって」

 長年連れ添った相棒でさえ、3時間。

 急ぐとは言っているが、難しいだろう。

 せめて少しでも、情報があれば……

「……あ、あれ?この感覚……!」

『結界内部から、魔力反応を検知……レイジングハートです』

「ほんとだ……バルディッシュ、同期できる!?」

Yes,sir. 同期します』

 中から飛来した、レイジングハート。

 どうして彼女が単機で……マスターであるはずの、なのは無しで……飛んできているのかはわからない。

 フェイトは脳裏に浮かぶ最悪の状況を必死に頭から追い出しながら、バルディッシュに魔力を送り続けた。

『レイジングハート。聞こえるか?』

『……バルディッシュ。ふぇ、フェイト執務官ですか!?』

「……うん。助けに、来たよ」

 泣きそうなレイジングハートの声が、結界の中から聞こえてきた。

 思わず彼女も、涙をこぼしそうになる。

 が……それはまだ、早い。

『レイジングハート。結界内の状況の説明、および結界を抜くために必要ななんらかの情報提供を要求する』

Yes、バルディッシュ。管制人格の魔力性質、構成と、現在の状況をそちらへ送ります。一刻も早く、結界を……!』

「……うん。わかってるよ。バルディッシュ、転送されてきた情報、全部私に回して!」

Yes,sir

 レイジングハートから送られてきた情報を元に、改めて解析する。

 すごい。

 情報は驚くほど正確で、簡潔で、それでいて必要な部分はすべて押さえられていた。

 こんな資料を作れる人間を、フェイトは一人しか知らない。

「っ……レイジングハート。これ、ユーノが……?」

『………』

 無言の肯定。

 同時にバルディッシュが、現在の状況を受信した。

 封印作業。バックアップシステムの起動。管制人格の暴走。

 なのはの沈黙。

 ユーノの奮闘。

 そして、負傷。

 なのはとユーノをロストしてからの出来事が、圧縮されてフェイトの脳に送り込まれる。

「ゆ、ユーノが……ユーノが戦ってるの!?」

『……はい……!』

 悲痛な声が、中から届く。

 ユーノが。

 あのユーノが。

 魔力の薄さ、少なさから、前線を退かざるを得なくなったユーノが……なのはを守って、戦っている。

「……急ぐよ、バルディッシュ!」

Yes,Sir!』

 一刻も早く。

 手遅れになる前に。

 大切な人を失うのは、もう、嫌だ。

 フェイトはあふれる涙をこらえることにも思考をさかず、結界を解析していった。

 

 

 一方その頃。

 地上から結界に向かっていたクロノ・ハラオウンは、引き連れてきた陸戦魔導士たちと共に、すでに結界の解析作業を終え、その破壊に取りかかっていた。

「……僕は突撃する。S2Uを置いていくから、残りはそのデータを解析して作業を続行。穴が安定したら、魔力ランクの上から順次突撃。いいな!?」

『はいっ!』

 統率の取れた部隊が、破壊作業を続けながら必死に返事をする。

 穴のサイズは、かろうじて一人分。それも管制人格が結界の補修に魔力を使い始めたのか、徐々に狭くなってきている。

 今突撃しなければ、またこのサイズになるまでにどれくらいかかるかわからない――

 そう考えたクロノは、単身で突撃することを決めた。

 S2Uを近くにいた隊員に任せ、デュランダルを片手に結界へ向かうクロノ。

「……行くぞっ!」

 冷気を全開。

 結界の境界面にある熱気を中和しながら、クロノは突撃した。

「……っ!」

 すさまじい蒸気が、クロノの視界を覆う。

 耐熱に優れたはずのバリアジャケットが、裾から容赦なく灰になっていく。

 息さえ出来ないような高熱を、シールドと冷気とバリアジャケットで無理矢理に誤魔化して、クロノは突破した。

「っ……ふ、はあっ……!」

 結界の境界面を超えた瞬間、バリアジャケットを再構成。

 曖昧だった魔力反応を鋭敏に感じ取れていることを確認しつつ、膨大な量の解け合った魔力反応から、なのはとユーノのそれを探す。

 目的の反応は、すぐに見つかった。

 7年前からなじみの、ユーノの魔力反応だ。

 だが……

「……なのはの魔力反応が……弱すぎる?」

 戦っているであろう、なのはの反応が弱い。

 反応はあるのだが、とても戦闘できるような状態とは思えなかった。

 対して、ユーノ。

 彼の魔力反応はかつてのPT事件、闇の書事件の時並に活性化していて、普段なら考えられないほど激しい出力を繰り返している。

 ――まさか。

「ユーノ……お前が戦ってるのか……!?」

 さあっ、とクロノの顔から血の気が引いた。

 彼はお世辞にも、戦闘向きとは呼べない魔力資質を持っている。

 そしてクロノは、彼の性格を、自分なりによく知っているつもりだった。

 もしもなのはが、自分の前で戦えない状況に陥ったら。

 眼前に敵がいて、なのはと自分を狙っていたら。

 彼の取る行動は、一つ。すなわち、なのはを守って、戦うこと――

「くっ……!」

 クロノはすぐさま飛行魔法を展開し、ユーノの元へと飛ぶ。

 彼の魔力は、戦いには不向きすぎる。

 一刻も早く、援軍が必要だった。