クロノがユーノに授けた秘策は、単純。
 バレンタインデーのお返し、というのを言い訳にしつつ、会って確かめに行けばいい、ということだけだった。
 彼はフェイトが既に有休を取ってしまっていることも、そこに至るまでの経緯も知っていた。
 また、ユーノにとっては唯一と言っていい同姓の親友だった彼は、奇跡的に彼からの相談を受けることが出来たのだ。
 だから、フェイトが本当は告白の返事を受ける気なんてないこと、ましてやチョコを渡してきちんとした告白なんてしてすらいないことを知る、当人達以外でのたった一人の人物だった。
 そこでクロノは考える。
 優秀なフェイト・T・ハラオウン執務官が、知り合いに発見される可能性を犯してまで、無理に外出に踏み切るだろうか、と。
 ホワイトデーに有給を取る局員は少なくない。
 たまたま出かけた先で鉢合わせたとしたら。町中で歩いているところを、知り合いに見られでもしたら。
 そんな危険性を、聡明な義妹がとるとは思えなかった。まあ、たかが告白していないのをごまかすためにわざわざ休みを取る人間を、優秀も聡明もへったくれもないが。
 とにかく彼は、当日のフェイトの行動をこう予測した。
 彼女はまず確実に、自宅にいるはずだ。
 それもなんの予定もなく、彼が来るという可能性など考えもしないで。
 だからこそ、彼はユーノをフェイトの家に差し向けた。
 友人達へのごまかしを真実にする最後のチャンスをフェイトにあげるつもりで。
 バレンタインデーも残すところあと半分ほど。
 愛する義妹と、認めざるを得ない親友は、果たして幸せになってくれるだろうか。
「……頑張れよ、フェイト。ユーノは鈍いぞ」
 真上を指した時計を職場で見ながら、一人クロノは呟いていた。
 
 
 
 彼は、いかなる時も忠実だった。
 どんな困難に直面しようとも、主を護り、主の為に戦うことを躊躇しなかった。
 力及ばず倒れた時は、さらに力を求め。
 主が迷っている時は、ただ彼女を支え。
 そうやって一心に彼女の傍に居続けた彼は、今この時も、主の力となることに、なんの迷いも持たなかった。
 彼は今再び、心折れかけた彼女の背中を押す。
 
『Sir. Get set 』
 
 彼は、閃光の戦斧。
 名を、バルディッシュと言った。
 
 
 
 たった一言。
 明滅したバルディッシュがフェイトに投げかけたのは、たったそれだけだった。
「ば、バルディッシュ……」
 甘い香りが漂うキッチンの中で、静かに明滅しながら放たれたその言葉は非常にシュールだったが、しかし。
 それでもその姿は、フェイトの心に火を付けた。
「……フェイト、どうしたの?」
 卵白を泡立てて砂糖を入れながら、ユーノが聞いてきた。
 どくん、と心臓がはねる。
「バルディッシュが、なんか言ってたみたいだけど……ひょっとして、急な仕事でも入った?」
「……う、ううん、何でもないの。ちょっとほら、職場からメールがあって」
 あわてて答えるフェイト。
 彼の不安そうな瞳が真っ直ぐ脳髄に突き刺さってきて、頬が紅くなっていく。
 体が熱く、熱くなってくる。
「そっか、ならいいんだ。ほら、執務官って、いつ出動要請がくるかわからないからね」
「う、うん……お休みがつぶれちゃうことは、結構あるかな」
 でも。
 ちゃんと返せている。
 手に持ったボールもひっくり返していないし、何も考えられなくなることもない。
 ましてや、不安など。
「じゃあ、やっぱり忙しい?」
「うん……それなりかな。でも、ユーノだって最近、ずっと残業してるって、クロノが言ってたよ?」
 今更何を怖がっていたんだろう、とフェイトは思う。
 まさか彼が、たかがあれだけのことで、自分に失望するとでも思っていたのだろうか?
「え、いや……まあ、そういえばそうかな……」
「駄目だよ、ユーノ。ただでさえ検索魔法は脳に負荷がかかるんだから、休むときはしっかり休まないと」
 彼女は考える。
 ――そもそもあの『告白』は、しっかり伝わってるのかな……?
 自分でさえ、あまりにも突拍子がないと思っていたのだ。
 あのシーンでいきなり『大好き』と言われて、愛の告白だと思う人間がどれくらいいるだろうか?
 しかも相手はユーノだ。
 冷静になって思い返してみれば、赤面した顔はなんど見られたかわからないし、あのバレンタインだって、二人きりだというのにチョコレートの意味にすら気付かなかったあのユーノだ。
 違和感が消える。怖さが消える。
 ユーノは、告白の話題を避けてた訳じゃない。
 ただ、ちゃんと伝わっていなかっただけなのだと。
「あー……まあ、そうだね。気を付けるよ」
「うん、よし。約束だからね」
 なら。
 それなら取るべき道は一つだ。
 単純な話。伝わらなかったのなら、伝わるように言えばいい。
 完璧に、一部も隙のない告白を、見せてやればいい。
「……バルディッシュ、ありがとう。私、頑張るよ」
 かしゃかしゃかしゃ、と。
 小麦粉も混ざった生地をかき回す音が、フェイトの小さな囁きを消す。
 ホワイトデーは、あと半分。
 逆転するには、十分すぎる時間だった。
 
 
 
 ちん、とオーブンが鳴る。
 ほかほかに焼き上がったケーキを取り出し、まな板へ落とし、固く絞ったふきんを掛ける。
 あとは冷めるまで待って、デコレーションをするだけだ。
「……ふう。じゃあ、ちょっと休もうか」
「うん、そうだね。今お茶入れるから、ユーノはリビングで待ってて」
 なのはから貰った、翠屋の特製ブレンド。きっとユーノのケーキにも合う。
 フェイトは告白のタイミングを、今この時に決めていた。
 ユーノが焼いていたのは、スポンジケーキ。
 焼いている間に湯煎したホワイトチョコレートと、同じく作ったブランデーのシロップがどうなるのかはわからないが。
 少なくともデコレーションの前には、スポンジを冷ます行程が必ず入る。
 リビングは今、スポンジの甘い香りで一杯になっているだろう。
 そこに今紅茶を持っていけば、その穏やかな香りも混ざって、いっそうムードが出る。 カップを取り出し、お茶を注ごうとポットを傾けたところで。
「……あ、メールだ」
 ぶるぶると、ポケットの中で携帯が振動していた。
 ――そう言えば、ユーノのメール、無視しっぱなしだな。
 今なら、たぶん読める。
 いったんポットを置き、携帯を開いた。
 届いていたのは他愛のない広告だったが、溜まったユーノのメールを開けた瞬間、フェイトは硬直する。
 
 書庫で待ってます。よかったら、会いに来て。
 
 来る日も来る日も、同じメールばかりだった。
『ユーノの奴、最近残業ばかりしてるんだ。どうにかできないか、フェイト?』
 義兄の言葉の意味が、ようやくわかった。
 ユーノは、待っていたのだ。他でもない、自分を。
 あの後、いきなり泣き出して、気が付いたら眠っていた自分。
 ユーノはそんな私を、どう思っただろうか?考えるまでもない。
 怒る?違う。呆れる?もっと違う。
 なのはだって。
 アルフだって。
 クロノだってはやてだってエイミィだって。
 そして当然、ユーノだって。
 泣いていたら、心配するに決まってる。
「……ありがとう、ユーノ」
 戸棚からブロックのチョコレートを一つだけ出して、口へ放り込む。
 甘い。とろけるように甘い。
「……うん、よし」
 小さくガッツポーズを取る。
 大丈夫。
 決心はついた。完璧に。
 あとはもう、告白するだけ。
 告白して、返事を貰うだけ。
「……ユーノ、お茶、入ったよ」
「あ、うん。ありがとう、フェイト」
 かたん、とカップを置いて、彼の正面に座るフェイト。
 ユーノが紅茶を一口飲んだ。その姿が、驚くほどに愛おしい。
「あ、おいしいね、これ」
「でしょ?なのはから貰ったんだ。翠屋の葉っぱだよ」
 心臓の鼓動が早くなる。早くなる。どんどん早くなる。
 爆発してしまいそうなくらい、緊張している。
「あー、どうりで。どこかで飲んだ味だな、と思ったんだ」
「ふふ……うん。おいしいね」
 紅茶を一口飲んで、口の中をしめらせた。
 準備は出来た。
 ――行こう。
「……あのね、ユーノ」
「ん……なに?」
 静かにほほえんでくる。
 反則だ。不公平だ。こんなの、ずるい。
 自分はこんなにも、想っているのに――。
 
「実はね、私、ユーノのことが――」