迂闊だった。
 『業火の魔導書』と『焔の石』。
 二つの対になるロストロギアと、その間にあるシステムに、僕は気づけなかった。
 手元にあった魔導書は、すでにない。
 自分で自分に転送魔法を使って、『石』へと向かったようだった。
 SLBが巻き起こした雪煙と、『石』が放つ蒸気とで、あたりは完全に見えなくなっている。
 少なくとも、すぐ傍らのなのは以外、僕にはなにも視認できていなかった。
「……なのは」
 視界を塞ぐ白煙の向こうに、灼熱の使者が、現れているのがわかる。
 防寒は、もう意味をなさない。いや、むしろ邪魔にもなるだろう。
 『石』が吸収した魔力を、信じられないような効率で熱に出力しているのだ。
 結界を消滅させて、僕はなのはに視線を向けた。
「なに、ユーノくん……?」
 なのはは疲弊していた。当然だ、撃った魔法はディバインが一発に、全力全壊のSLB。
 これで疲れた様子が皆無だったら、なのはは悪魔どころか閻魔になれる。
「…………」
 へにゃっと眉を歪ませ、肩で息をするなのは。
 これは僕のミスだ。それはわかってる。でも……
「……だからSLBはやりすぎだって言ったのにっ!」
「ふぇーん、ごめんなさいぃ〜!」
 
 怒鳴らずにはいられなかった。
 
 
 ――その花は、深紅に燃えてなお――
 
 
 作動したのは、おそらくバックアップシステムだ。
 『石』にはたぶん、万が一魔導書が機能を停止、または暴走したときのための、修正プログラムみたいなものが入っていたんだろう。
 結果、なのはのSLBの余波を受けて『機能を停止』した魔導書が、システムによって完全な形で復活した……んだと思う。
「なんか『おそらく』とか『たぶん』とか、心細い単語ばっかだね……」
「し、仕方ないでしょぉっ!?」
 だって『魔導書』は、さっきまで無限書庫に封印されていたのだ。依頼が毎日山のように舞い込んでくる無限書庫にとって、封印済みの危険性がないロストロギアの調査など二の次、『石』に関してだって、封印に必要な最低限を調べただけなのだ。
 
 書庫は、パンク寸前だった。
 
 だから、『石』にバックアップの役割があるなんて、今の今まで考えもしていなかったし。
「まあ、それが僕のミスなんだけどさ……」
 言ってるうちに気がついた。そうだよ、考えなかった僕が悪いんじゃないか……。
「……し、しょうがないよ、ね?ね!?」
 慌てたようにフォローをしてくれるなのは。
 でもいいよ、こんなダメな奴、無理にかばわなくったって……。
 自覚したとたん、思いっきり鬱になりそうだったけど、すんでのところで耐える。
 そうだ、今はそんなこと、考えてる暇はない。
 煙が晴れる。
「……くるよ、なのは」
「うん!」
 奥から現れたのは、全身に幾筋も赤いラインがはしる、人型の管制人格だった。
 静かに瞳をとじるそれの、赤く浮き出た骨格が脈動している。
 
 『業火』。
 
 ぽそりと動いた唇が紡いだのは、きっとこの一言だっただろう。
 瞬間、
「レイジングハート!」
「シールド!」
 大気が悲鳴をあげた。
 全てを焼き尽くす熱風と、想像を絶する爆風が、同時に辺りを蹂躙する。
「っ………!」
 じりじりと、シールドが焼けついていくのがわかった。ボシュッと音をたてて、バリアジャケットの袖が焦げた。
 地面を覆っていた雪が、液体という過程を飛び越えて一気に蒸発する。
 そしてそれすら吹き飛ばす爆炎が、さらにその奥から――
《Muster!》
 横から飛び込んできた悲鳴に、僕はとっさにシールドを拡大した。
 隣にいるなのはも、余裕をもって包み込めるくらいに。
「うわっ……!」
 その分シールドにかかる負担は増大し、僕へのダメージも大きくなる。
 ジャケットは肩まで爆ぜた。
 だけどシールドそのものは、多少軋んだ音をたてたものの、なんとか持ちこたえてくれたようだ。
 補助魔法が得意でよかったと、自分にやどる僅かな魔法資質に感謝する。
「ぁっ……ユーノくん……」
 なんかエロい……じゃなくて。
「……大丈夫?」
「ん……ごめんね、魔力が……」
 見ればなのはは全身ぼろぼろ、ジャケットはズタズタで、立ち上がる気力もなく、地面にへたりこんでいる状態。
「…………」
 思わず息をのむ。
 いくらついさっき全力全壊を撃ったとは言え、これはあまりにも疲労しすぎている……って、ことは。
「……なのは、休んでたって嘘だね。また無茶してたでしょ」
「にゃ、にゃはは……バレた?」
 バレるに決まってる。
 よく考えたら、強固なバリアジャケットに包まれたなのはの手のひらが、あんなに冷えているはずがないのだ。
「……今くらいの爆発なら、たぶんフェイトたちからも見えてるはず。しばらくしたら救援がくると思うから、それまで休んでて」
「え、そ、それじゃあユーノくんが……」
「いいから!」
 強引に座らせて、僕はなのはを庇うように立ち上がる。
「僕は、いいから」
 静かにそう告げると、なのはは一瞬、視線を空に泳がせた。
 何かを口に出そうと唇が動くが、僕はそれを無視してもう一枚シールドを作動させる。
「……レイジングハート、もう一度付き合ってくれるかい?」
《Yes、My Master. あなたは今でも、私のマスターです。力を貸せというのなら、全力でお付き合いいたしましょう》
 その言葉に唇が緩むのが、自分でもわかった。
 後ろ手に手をつき出すと、震える腕が、槍のような形状に変化したレイジングハートを乗せてくれる。
「……初めてだね、レイジングハート。起動もできなかったのに、エクセリオンモードなんて……僕なんかにも使えるのかな?」
《Don't Worry. マスターになら、できます》
「ありがとう。それじゃ、行こうか?」
 救援が来るまで、時間を稼がなければならない。
 トランスポーターは無いし、転送魔法の許可も、部隊単位でしかも長距離となれば、下りるまで時間がかかるだろう。
 しかも僕には、あまり魔力がない。二人分のシールドを張ったまま数時間を耐え抜くのは、はっきり言って無理だ。
 ならば、やることは一つ。
「近寄って、バインドで縛りあげて……攻撃を止めるよ」
《Yes》
 耐熱と対衝撃の結界を張れるだけ張って、なのはを守る。
「……なのは。少しでも危ないと思ったら、念話で言って。すぐに助けに来るから……わかった?」
 こくん、と素直に頷いた。
 いざとなったら、犯罪覚悟で転送魔法を使って戻ってくればいい。非常事態だ、たかが個人の短距離転送、多少は見逃してくれるはず。
「よし。行くよ、レイジングハート」
 簡単な戦略を練って、結界から一歩、踏み出そうとしたその時。
 
「……待って!」
 
 後ろから、泣き声のような声が、僕を引き留めた。
「一つだけ、約束して」
「……なんだい、なのは?」
 
 
「……お願いだから。お願いだから、ユーノくんも……無茶しないで。危なくなったら帰ってきて。絶対、絶対……無事に帰ってきて……!」
 
 
 ……ぐんとハードルが上がったようだ。
「ん、わかったよ。必ず戻ってくる。それでいいかい?」
「……うん」
 か弱く返事をするなのはに、さっきまでの陽気な姿はない。
 
 ……取り戻さなくては。
 
 僕はただそれだけを胸に、結界から飛び出した。
 
 
 
「レイジングハート、魔力の消費を節約できるかい?」
《……申し訳ありません。私は大魔力を放出する直射魔法や、収束砲などに適した形で設計されています。ですから、魔力そのものの節制は、あまり得意ではありません》
 聞いてみたら、半ば予想した通りの返答が返ってきた。
 レイジングハートは、もはやなのはのデバイスだ。僕は魔力が足りなくて起動すらできなかったのだから、それでいい。
 砲撃主体のなのはの相棒としてやっていくためには、そんな機能はいらない。マリーさんを初めとするデバイスマイスターの面々が、そういう風にチューニングしていることだって、十分予測していた。
「……ん、わかったよ。じゃあレイジングハート、君には……」
 だけど。
 僕が起動できなかったレイジングハートと比べて、決定的な違いが、このレイジングハート・エクセリオンにはある。
 新たに組み込まれたあの機巧。あれさえあれば、
 
……僕にだって、勝機はある。
 
 
 
 押し寄せてくる炎の津波を、一発ずつシールドで防御しながら低空を翔る。
 下手に上昇して、良いことはあまりない。空中360度を警戒するよりも、地上180度を警戒している方が、遙かに楽だからだ。
 もちろん、相手が上空にいる場合は、その限りではないけど……。
 中距離に入ったかという位置まで近づいたところで、ぶわっ、という大地を削る音が、津波の向こうから聞こえてきた。
「っ……レイジングハート!」
《Protection》
 ガコン、と音がして、レイジングハートから火花が散った。カードリッジをロードする音だ。
 
僕の勝機はここにある。
 
 ベルカ式カードリッジシステムは、魔力を圧縮した弾丸をロードすることで、魔法の底上げを行うシステムだ。
 シグナムやヴィータを見ればわかるように、カードリッジのロードによって発生する魔力は、デバイスにも流すことができる。
 つまり、カードリッジが続く限り、魔力が足りなくてもデバイスを起動させ続けていられるし、魔力が低くても、強力な魔法が撃てるのだ。
 カードリッジがロードされ、強力に練り込まれた魔力が、レイジングハートの構築したシールドを巡る。
 翠色の閃光。目も眩むような、光の洪水。
 それが全て、僕のシールドから放たれている。
 もともと少ない魔力を最大限に生かすように構築してあるシールドだ。必要以上の魔力が流れ、余剰分がまるまるシールドの硬度を強化していた。
 硬く、より硬く研ぎ澄まされていく。
 唸りをあげて炎熱の壁が迫ってきた。
 前方にかざした盾が、それを迎撃する。
 圧倒的に見えた焔が、驚くほど簡単に砕けていく。
「レイジングハートっ……ジャケットパージ!」
 目の前が開けた瞬間、左手で構築していたバインドを発動させながら、ジャケットの靴の部分だけをパージする。
 爆発に乗って地面を蹴り飛ばし、重力に逆らって真っ直ぐに宙を翔る。
《っ………!》
 管制人格が息を飲むのがわかった。
 ガコンっ……カードリッジがロードされる。
 
刹那、
 
《―――っ!!》
「ストラグル・バインドっ!」
 
二つの声が、重なった。
 
 
 冷たい壁の中に、私はいた。
 今まで味わったことのない、寂しすぎる無力感。
 戦いたくても、戦えない。
 魔法が使いたいのに、使えない。
 私は今、ようやく彼の心情を理解していた。
 驚くほど冷静に、それでいてショックは大きく。
 彼はいつも、こんな気分を味わっていたのだろうか。
 無限の書物の傍らに埋まって。
 私は大きく息を吸った。
 この身に残った魔力のかすをありったけ集めて、我ながら拙い構成だと思いながらも、懸命に一つの魔法を紡ぎながら。
「アクセルシューター……いってあげて。行って……ユーノくんを、助けてあげて」
頼りなさげに光を放つ桃色の球体が、しかし気丈に彼の後を追った。
 
もしそれが本当なら、あまりにも悲しすぎる。
 
 
 
《マスター……》
「……大丈夫。大丈夫だよ、レイジングハート」
 激突のあと、トランスポートでいったん距離をとった僕は、右手に走る鈍い痛みに顔をしかめていた。
《申し訳ありません……シールドを維持しきれませんでした》
「いや、レイジングハートのせいじゃないよ。単純な僕の実力不足だから」
 バインドを発動させた直後、あの管制人格がとったのは、シールドごと巨大な炎で僕を飲み込んでしまうことだった。
 大きく口を開ける火炎を防ぐべく、シールドの大きさを無理やり拡大しようとしたところで、レイジングハートに流れる魔力が切れた。
 カードリッジをロードする暇もなく、中途半端にかかったままのバインドをそのままに、緊急回避的に僕は転送魔法を発動していた。
 咄嗟にレイジングハートを脇にかかえ、空いた右腕でシールドを展開したものの、やはり衝撃は盾を抜いてきて。
「まずいな……腕、上がらないや」
 手首から肩にかけて、痺れでほとんど動かなくなっていた。
《申し訳ありません……》
「いや、だからね……これは僕のせいだから。レイジングハートは悪くないよ。それに、今は……」
 そんなことを考えている場合ではない。
「レイジングハート、僕のバインドは、どれくらいかかった?」
《……予定していた術式の1/3が機能しています。部位的には……マスターと同じ、右腕を》
 そうか……1/3か。
 爆発の名残である砂埃が晴れ、その向こうに管制人格の姿がみえた。
 なるほど、翡翠のリング・バインドは肩・肘・手首にきちんとかかってくれている。
 予定では、かかるはずだったバインドは、10。
 両肩・両肘・両手首、両膝・両足首の十だ。
 想定していた戦況とは、程遠い。
「……でも、やるしかないよね」
 自分自身を叱咤するべく、あえて声にだした。
「レイジングハート、カードリッジはあと何発残ってる?」
《あと二発です》
「二発か……わかった、レイジングハート、新しいカードリッジをセットするから、いったん全部ロードしちゃって」
《All Right》
 ガコン、ガコンと連続した金属音が鳴って、レイジングハートから空になった薬莢が排出される。
 迸る魔力をその身に蓄えた彼女は、まず間違いなく数分間は持ってくれるだろう。
「じゃあレイジングハート、手筈通りに頼むよ」
《……了解しました。マスター……御武運を》
「……どこで知ったんだい、そんな台詞?」
 レイジングハートが苦笑し、会話が途切れた。
 一瞬の緊張。
 そして……
「……行くよ!チェーンバインド!」
 レイジングハートの穂先に、翠の魔方陣が展開される。
 彼方管制人格の方も、なんらかの魔法を起動させたようだ。
 距離はおよそ、20歩ほど。その気になればすぐに接近できるだろう。
 僕は走った。
 ――蒼空を、駆けた。
 
 
 
 この時。
 ユーノには、知らないことが2つあった。
 1つは、高町なのはがその全力を振り絞って放った、たった一発のアクセルシューターが、彼を護るべく、真っ直ぐに接近して来ていること。
 そしてもう1つ。
 
 
 ……戦場には結界が張られており、救援の到着には、彼の想像を遙かに超える時間が掛かると言うこと。
 
 
 この2つを、ユーノ・スクライアは知らない。