雪が降っていた。
真っ白な雪が。
「……雪にはね、嫌な思い出が……一つあるんだ」
風が吹いていた。
冷たい風が。
「……思い出す度に泣いて……眠れなくて」
光が照らしていた。
まばゆい光が。
「……そんなとき、ふっと……思い出すんだ」
桜色の、光が。
「……あの、眩しい煌めきを……」
―桜雪―
「……寒波を起こすロストロギア?」
季節は、秋。
親友、フェイト・T・ハラオウンからの連絡は、彼女の背後に猛烈な吹雪が吹いているという、現実感の持てないモニターからだった。
「えっと……本当は、違うらしいんだけど。もともとは活火山の火口に設置されてて、熱を吸収して魔力に変えてたって聞いたよ」
「……なるほど。確かに常温でそれを置いといたら、吹雪いてもおかしくないね……だけど、ロストロギアの正体がわかってるんなら、僕の出番はないんじゃない?」
情けないが、今の僕は無限書庫司書長。たまに遺跡を調べにいったりする以外は、屋内に籠りきりだから、すっかりもやしのような体つきになってしまった。
だから僕ができるのは、正体不明のロストロギアや、原因不明の事故や現象を調べるくらいしか、ないはずなんだけど。
「ううん、今回スクライア司書長に調べて欲しいのは……ロストロギアの封印方法なんだ」
「……封印してないの?」
「うん……実はね、火口にあった時点では、まだどんなものなのかはっきりしてなくて……それで一旦有り合わせの道具で封印魔法をかけたんだけど、運搬の途中で解けちゃって……」
「近寄れなくなった……と、そういうこと?」
「……ごめんね」
申し訳なさげにフェイトは頭を下げる。
けど、それは回収班のミスだ。執務官のフェイトが、謝る必要はない。
「いいよ、フェイトが悪い訳じゃない。とにかく調べてみるけど……一つだけ、条件があるな」
「……なに?」
「また昔みたいに呼んでよ。最近スクライアってばっかり呼ばれてて、自分の名前を忘れそうなんだ」
おどけてそう言うと、フェイトは笑って、
「うん……わかったよ、ユーノ」
そう、嬉しそうに言ったのだった。
結論から言うと、封印は大して難しいものじゃなかった。
「そのロストロギア……名前が、『焔(ほむら)の石』って言うんだけど。対になるものがあるんだ」
無限書庫に無い情報はない。この世界の……いや、全次元世界の魔導書・資料書・童話集、ジャンルを問わずありとあらゆる書物が延々と保存されているのが無限書庫なのだ。
「『業火の魔導書』。『石』が蓄えた魔力を引き出せるのは、これだけなんだ」
正確には、『石』が魔力に変換して蓄えている熱を、もう一度もとの形に戻せるのが、『業火の魔導書』なんだけど。
「『業火の魔導書』で起こした炎・熱は、『焔の石』に吸収されないんだ。だから……」
「『魔導書』の炎を頼りにしていけば、近付いて封印できる……って、ことだね?」
じっと話を聞いていたフェイトが、言おうとしたことを先に言ってくれた。
……でも。
「問題はね、誰が『業火の魔導書』を使うか、ってことなんだよ」
「……?私じゃ駄目なの?」
「えっと……フェイトのバリアジャケットは、機動性重視の薄型だから――」
熱は散っていくのだ。凍り付いてしまうのを防ぐためには、絶えず相当な量の熱を放出している必要がある。
とてもじゃないけど、フェイトのバリアジャケットじゃ、『魔導書』の熱には耐えられない。
かといってバリアさえしっかりしておけばいいわけじゃないし。
ある程度魔力を持っている人でないと、『魔導書』は扱えない。
「フェイトと同じ執務官クラスか、それ以上……総合ランクでAA、封印するならAAAくらいはほしいかな」
『魔導書』そのものに『石』封印のシステムはないから、『魔導書』の他にもう一台デバイスを持つ必要がある。その為にはやっぱり、執務官、提督クラスか、もしくは戦技教導官……
「……ねえユーノくん、私じゃ駄目かな?」
頭をひねっていたその時、もうすっかり聞き慣れて……何度も何度も想い返した、親友の声が聞こえた。
「私なら、砲撃魔導師だから、バリアジャケットも頑丈だし……」
「…………なのは」
純白のドレスを纏った、高町なのは……彼女の、声が。
「にゃ?」
首をかしげた姿が余りにも可愛らしくて、僕は一瞬、言葉を失った。
慌てて取り繕うと、矢継ぎ早に説明を繋いでいく。
「う……うん、なのはなら全然問題ないね。『業火の魔導書』は無限書庫にあるから、レイジングハートとリンクする機能をつけておくよ。魔力出力が少し多くなるけど、それもなのはならほとんど関係ないレベルだしね」
「うん、わかった。ありがとう、ユーノくん♪」
……再び硬直。なのはは気付いていないみたいだったから、すぐに復活して誤魔化したつもりだったけど。
「……ユーノ、仕事中だよ?」
モニターの向こうで、フェイトが頭を振っていた。
彼女にはかなわないな……。
「と、とにかく!『業火の魔導書』は僕が持っていくよ。現在位置データを送ってほしいな」
「え、ユーノくんが直接来るの?」
「うん、行くよ。今日はクロノが珍しく静かだったから、請求の量が普段の7分の1なんだ」
それはすなわち、あの鬼提督が請求の7分の6を占めてるって意味なんだけど。
あと、それに。
「久しぶりに、6年来の親友たちにも会いたいしね」
「なるほど、これは確かに寒いな……」
紅葉が美しいクラナガンを抜け、草木の生えない荒涼とした荒れ地を突っ切って向かった先は、何十年か前に噴火したばかりの、険しい山脈地帯だった。
普段なら太陽が照って、暖かいのだろう登山道も、今は降りしきる雪で真っ白に染まっている。
「……寒い」
一応寒さ対策のために、結界魔法を体の周りに張っているんだけど。移動式の小型結界はあまり得意じゃないこともあって、正直、焼け石に水だった。
嫌でも瞳に写る、細かい雪の粒。
その中に、ちらりと赤いものがよぎったような気がして。
「………っ」
僕は思わず、目を閉じた。
歩いて行くほどに、寒さは厳しくなる。
視界のほとんどを埋め尽くす、冷たい白が、何もかもを覆い隠して……
「ユーノくんっ!」
「なのは……!」
その中に、桜色の魔力光が現れた。
吹き荒れる吹雪の中、ヒマワリのような笑顔を咲かせた少女が、大きくこちらに手を振っていた。
……本当に久しぶりだ。
闇の書事件から、四年。あの事故があって……今年で二年。一番最近にあったのは、確か半年くらい前だったはずだ。
彼女に会えたことが、自分でも信じられないくらい嬉しくて。
疲れも忘れて駆け寄った。
「久しぶり……なのは」
「うん……お久しぶりだね、ユーノくん」
近くにあった、一時的な待機場所。寒さと雪を防げる、大きな固定型の結界だった。
「……ユーノ、私もいたんだけど」
不貞腐れたように、フェイトが言った。
「あ、いや……ふ、フェイトの魔力光は、黄色だから雪に紛れてると見付けにくくて……」
「……いいよ。どうせユーノは、なのはしか見えてないんだから」
「にゃ?」
「な、ななななにをっ……!」
金髪に絡んだ雪を丁寧に落としながら、フェイトは頬を膨らませている。
「なのは、いいこと教えてあげる」
「……いいこと?」
「うん。無限書庫の司書長室に、ユーノの机があるでしょ?」
……嫌な予感がする。
「うん、あるね」
「その上に、スクライア族のみんなってユーノが言ってる、写真たてに入った写真があるでしょ?」
「……うん、あるね」
……写真たて?写真たて、写真たて……ま、まさか!
「実はね、あの裏には、もう一枚別の写真が……」
「わ、わーわーわーわー!!!なのは、聞いちゃ駄目だ!!!」
写真たてに入っている、もう一枚の写真。
「にゃー?」
「ユーノ、あんなのいつ撮ったの?」
「……聞かないで……」
唯一僕が持っている、なのはの写真。写っているのは……
「……なのはの、寝顔なんて」
耳元でぼそっと呟かれたフェイトの声に、僕は自分の頬が紅く染まっていくのがわかった。
「……ねーフェイトちゃん、なんなの?」
「それはね……」
「そ、それはそれとして!」
思わず叫んだ。早く話題を変えないと、大変なことになる気がする。
「……これが、『業火の魔導書』なんだけど」
都合がいいことに、僕には絶好の逃げ道があった。
そう、仕事と言う逃げ道が。
「……ユーノ、どうせあとで問い詰められるよ?」
「…………」
「にゃー」
『お話聞かせて』。爛々と輝く両目が、如実にそう語っている。
……どっちにしろ、僕は助からないらしい。
「……じゃあ、一応まじめにいくよ。『業火の魔導書』は、魔導書型のデバイスなんだけど……」
『魔導書』のデザインは、『夜天の書』や『蒼天の書』と同じ、分厚い本の形だ。
その名の通り、表紙は燃えるような朱。その中心に、ルビーのように真っ赤な宝石が埋め込まれている。
「……かなり原始的な、ストレージデバイスの機能も備えてるんだ」
持ち主の演算能力を補助して、イメージを魔法として出力する、デバイスの基本型。
「『業火の魔導書』は、その中の記述がすでに魔法陣としての役割を果たしてるんだ。だから、ただ魔力を込めるだけで、常に一つの魔法……強力な炎の魔法を、出力できるんだ」
「……かなり特殊だね。聞いたことがないよ」
ぼそりとフェイトが呟く。
「私もないや。ユーノくん、『魔導書』に人格はあるの?」
「ないよ。元々はあったんだけど、封印の時に……」
『削除』された……と、記録にはあった。
「そっか……大切に、しないとだね」
漆黒の衣を纏った、悲しい影が脳裏をよぎる。
「……話を戻すよ。『魔導書』はただ魔力を流すだけで魔法が使えるけど、逆に言えば『魔導書』が使えるのは炎熱系の魔法だけってこと。だから、封印の時にはもう一つデバイスを持っていかなきゃいけないんだ。レイジングハート、『魔導書』とのリンクシステムは来てる?」
《はい、届いています》
デバイスとデバイスのリンクシステム。
持ち主から直接魔力を流すのではなく、使いなれたレイジングハートを通して、制御や調整のサポートを受けながら『魔導書』に魔力を流すためのシステムだ。
「じゃあなのは。『魔導書』の制御はレイジングハートがやってくれるから。君は動力源になる魔力を流してるだけで平気だよ」
「うん、わかった。じゃあ、もう行っちゃっていいのかな?」
頷いて、腰をあげようとするなのは。
しかし僕は、差し出された手のひらに、『魔導書』を乗せようとはしなかった。
「……なのは、ちょっときて」
手首を掴んで、強引に引き寄せる。
「に、にゃあ!?」
「ゆ、ユーノ?」
かたや驚いて、かたや戸惑って、二人が声を上げた。
僕は無視して、なのはの頬に手を伸ばす。
「……こんなに冷たい。レイジングハート、なのはは結界魔法を使えるの?」
《……無理です。マスターが結界を使ったところを、私は見たことがありません》
……やっぱり。いくら『魔導書』があったって、封印の時は『魔導書』にも影響が及ぶのだ、少しの間、極寒に耐えうる結界を作る必要がある。
「……僕もついていくよ。固定型の結界なら専門だし……って、なのは?何で紅くなってるの?」
「……に、にゃー……」
フェイトまで。どうして目線をそらすんだろう?
「……なのは、風邪でも引いた?休まないと駄目だよ」
「え、ち、違うよっ!こ、これは風邪とかじゃないし、昨日休んだばっかりだしっ……!」
わたわたと手足を動かして、
「ぅ、うー……」
ますます頬を染めるなのは。
そして呆れたように、ため息を吐き続けるフェイト。
結局出発まで、僕は首を傾げたままだった。